痛見心地

思ったこと感じたこと、おふざけ、メモ、たまに感傷的になったりと、ここは「しもうさ」の自由な文手箱です

メモ:村山敏勝『(見えない)欲望へ向けて——クィア批評との対話』

初版2005年。人文書院から刊行された一冊

市場価格は4〜5万円、あるいはそれ以上で動かない状態を維持し続けており、入手には費用の掛かる一冊なのですが、以前運良く手にすることが出来ました。クィアに関心があるなら最早必読と言って良いレベルの名著なのですが、なかなか復刊しないことにはそれなりの事情があるのでしょう。今後も難しいのかもしれません。しかし待ち望んでる読者はそんなの知りませんし、無理なら無理な理由を共有して前進の意欲を見せない限りそれは知的怠慢です

 

個人的ベストを引用します。1万5千字程です

 

p.73

キャサリンギャラガーは、小説を読む際の「不信感の宙吊り」は、資本主義社会において生きるために必要なシニシズムとまさに同種のものであると論じている(Gallagher and Greenbratt 2000 :163-210)。物語を読むためには、そこで進行しているできごとが真実であるかどうか、棚上げにしておかなければいけない。同じように資本主義下で生存していくためには、おこなわれる商業上の契約が、ほんとうに未来においても正しく実行されるものなのか、不信感を棚上げにしておかなければいけない。とりあえず信じておくことで、読書と社会は円滑に機能する。要するに小説を読むことは、自分がいつでもやめられると思っているゲームの規則を学ぶことと同義である。シニシストは、自分が参加しているゲームから距離をとったつもりでいることができるわけだが、しかしその距離はほんとうに保証されているのだろうか。

pp.92-93

近代小説は、その出発点から女性の教育に携わる。パメラやセシリアに共感し一体化していく女性読者は、すでに文化の再生産のなかにいる。小説を読むことはしばしば、良家の子女には禁じられる破廉恥な行為だったわけだが、スキャンダルな読書の快楽は、教育装置としての小説の働きとまったく矛盾しない、という点はあらためて強調しておかなければならない。いずれにせよ小説は「内面」を描き出し、自己同一化の誘惑をささやく。読者がパメラに「なる」ことを期待されるから小説は教育的なのだし、だからこそ、どこの馬の骨とも知れぬ女中の内密なことばに読者が一体化し、汚染されるからこそ、小説は不道徳になるのだ。アームストロングは、リチャードソンとブロンテ姉妹を対比させて、『パメラ』が共同体の求める理想の女性像に一致した、つまり外面の立ち居振舞いと内面の美徳とが(二十一世紀の読者には信じがたくも)一致した女性を描いているのに対して、『ジェイン・エア』や『嵐が丘』では、共同体の規範に反する過剰な内面が前面に出される、という。もちろん彼女の論点は、『パメラ』がもっていた教育機能が、ブロンテ姉妹の作品では失われるということではない。変わったのは教育制度としての小説の機能ではなく、そこで教えられるカリキュラムにすぎない。いまや教えられるのは、「良きふるまい」ではなく、自立した内面、表現されることを待っている内面なのだ。しかしこうして内面が表象されればされるほど、自己同一化の誘惑はいっそうのぞき見的な形式をとる。イアン・ワットの古典的名著『小説の勃興』(一九五七年)がすでに的確に指摘していたように、リチャードソンが定式化した小説というジャンルは、プライヴァシーを、とくに性的なプライヴァシーを安全に覗くことのできる特権的形式だった。舞台では直接的すぎて描けない情景でも、文字テクストという鍵穴をとおして、主人公の「内面の襞」をとおしてなら表象可能になる。「活字のもつプライヴェート性、匿名性のおかげで、読者は鍵穴をとおして隣室をのぞき見し、レイプが準備され、企てられ、なしとげられるさまを他人に見られずに目撃するのである。読者も作者も礼儀作法を少しも犯しはしない」(Watt 1964 : 199) 。こうして女性教育の装置は、安全なポルノグラフィー装置でもある。そもそもプライヴァシーという概念自体、十八世紀後半以降の専業主婦増加に重なって女性性を刻印されている。小説を語る女性とは、自分のプライヴァシーを自分で生産しつつ、自分をポルノグラフィーの対象にすることで主体となる存在だといってもよい。

pp.105-107

反物語(主体否定)の欲動を物語の流れの欲動(内面形成)と単純に対立させるだけでは、男根的なプライヴァシーのエロス化の構造の外に出ることはできないとしたら、異なる読みの可能性はあるだろうか。いいかえれば、女性一人称の自伝的語りが、自らのプライヴァシーを形成しつつそれをポルノグラフィー化しないことに成功するとしたら、どのようなものになるだろうか。この問いに決定的な答えがあるはずもないが、これまでと異なる議論を示唆するとしたら、反物語への力の意志と物語への欲動の葛藤を、非 - 主体と真実の主体の対立としてでなく、まさに主体形成として読むという発想はありうるだろう。キャサリンギャラガー『ノーボディズ・ストーリー』は、十八世紀の女性作家たちが市場価値を得たのは、彼女たちが「ノーボディ」であったから、財産をもたず社会地位ももたず、したがってさまざまに異なる読者の共感の対象となることを拒むような具体性をもたなかったからだ、という。小説が共感の対象として優れているのは、それが現実に近いからというよりは、まさにそれがフィクションだから、共感の障害となるような具体的な身体性をもちようもないからだ。そしてアフラ・ベーンやシャーロット・レノックスは、その点で男性作家以上に小説的な存在意義をかちえたのではなかったか。ギャラガーがいっているのは、女性がより中性的で一般的な視座を保持できたということではかならずしもない。財産も縁故もない彼女たちは、筆一本で稼がなければならず、確固たる視座などもつ足場がないからこそ、著作権その他、作家としての権利は主張しなければならない。つまりノーボディがなんらかの普遍原理を主張できるとすれば、それは彼女が純粋に資本市場のなかにいるからでしかなく、だからこそ同じく市場のなかにいる消費者の共感を求めることさえできる。アフラ・ベーンが自らを娼婦と呼ぶのは、作家も娼婦も同じく身一つの商売だから、そしてなんの財産もない彼女が身を立てていくためには他に手段がないのだから、と自らの無垢!を訴えて女性観客の共感を誘うためだ。自分のプライヴァシーを売り物にする作家=娼婦の自己は、こうして男性に対してのみならず同性に対しても、パフォーマティヴに、演劇的に作られる。「この女性について知ることができるのは誤った表象ばかりだ。というのも女性作家の場合、娼婦の場合と同様、けっして知られることのない真正な自己の幻想は、それを売り物にしつつ表に出さないことで作られるからだ」(Gallagher 1994 : 17) 。ここでも真の自己、プライヴァシーは、一瞬読者の目に見えないところに保持されている。しかしルーシー・スノウの自己が発見しうると暗示されているのに対して、作家=娼婦の自己は幻に過ぎず、むしろこの表面と深層の乖離自体が、作り上げられた「自己」となる。正しい内面でもなく、礼節にのった内面拒否でもない娼婦像。われわれの文脈に引きつけていえば、カミングアウトが作り出すプライヴァシーとはそうしたものだろう。真のプライヴァシーが存在していると前提し、それを認めることがカムアウトなのではない。ポルノグラフィックな好奇の視線にさらされることをあえて引き受けて、パブリックな場に性的な存在として現れることで、プライヴァシーの領域自体を書き換えることができるかもしれない。内面へと向けた物語化の欲望を否定することはできないとしても、カミングアウトは、表面と深層の二分法を一時的にせよ消失させ、この欲望を失調させうるものになる。ドゥルシラ・コーネルの「想像的領域を尊重する」法哲学をここで想起してもよい。彼女の企図は、固定した「深い」アイデンティティに拘泥せず、しかし主体の自由の領域を社会的に維持することにあるからだ。自分自身によって作り出されるプライヴァシーは、必ずしも隠された内面でなくともよい。その作成によって社会関係が再構成されるのであれば。

pp.127-132

生物としてのヒトの不変の基幹部分をなす性的欲望。本質主義的なセクシュアリティ観が、十九世紀末以来、リベラルなホモセクシュアリティ擁護に力を与えてきたことは事実である。ホモセクシュアリティを「先天的なものとして理解し、それゆえに自然なものの領域に位置づけ」る(河口 二〇〇三:五)カール・ハインリヒ・ウルリヒスの姿勢は、解放へと向かう政治的な前進だった。しかしこのレトリックは、フォースターにおいても、しばしば医や法の言説においても、クローゼットと共犯関係を結ぶ。クローゼットは本質的な秘密を隠している――隠れているけれどたしか、曖昧だけれど決定的、それはこの秘密、つまり性的欲望という核が、公的に知られていようといまいと「自然な」事実だからだ。クローゼットはリベラルのメカニズムそのものといってもいい。個人の本質を維持したうえで、主体にアイロニカルな揺らぎをもたらすから、そしてこの揺らぎのなかでこそ、良きリベラルは良きリベラルへのなりかたを学ぶからである。欲望は、リベラル政治哲学の歴史において、躓きの石の一つになってきた。理性がひとまず個々人に共通する権能であると定義されるとき、あらゆる人は、正しく理性を用いれば、基本的に同じ道筋をたどって理性的な合意に達することになると考えられる。しかしこのとき個々人の欲望がどの程度まで共約可能であるかは、問いとして残る。欲望の差異性を、普遍的な社会システムへの合意に包みこむことはどのようにして可能なのか。単純な根源的な欲望を一つ、あるいは少なくともいくつかの組み合わせを想定して、人間の行動の原動力としての地位を与えればよい。ホッブズにおける死への恐怖、ヒュームにおける他人と交流したいという欲望は、そうした例である。他人もまたこれらの欲望にのっとって行動するからこそ、大まかに自分と同じように行動するという予想が成立し、最適な社会がそこから導き出されることになる。こうした議論では、欲望の差異性は問われることがない。スティーヴン・ホームズは『情動と抑制―リベラル民主主義理論について』(一九九五年)で、古典的リベラル哲学者の多くが情動を重視したことを強調し、人間の行動の非理性的な側面が彼らにはじつはよくみえていた、と論じている。リベラリズムは理性と公共心を重視するばかりで、人間のときに野蛮な情動を無視している、という保守主義からの批判に対する回答として書かれたものと考えてよいだろう。ところが逆説的にも、彼の論ずる「情動」は、私的関心をともなう理性的判断と、ほとんど区別がつかなくなる。ホームズのいうとおり、ふつう合理的計算によると思われる行動の多くは、実際には抑えきれない情動――痛みを避けたい、賞賛されたい、他人とつきあいたいーからきている。しかしそれらの欲望を誰もが例外なくもつと想定する限り、個々人は互いに了解可能な存在となり、願わくば普遍的な社会契約が成立して民主主義を導くだろう。欲望はたんに、普遍理性の一部をなす測定可能な要素となる。欲望をリベラリズムのなかに安全に位置づけようとする試みは、こうして功利主義トートロジーと化す場合がしばしばである。「最大多数の最大幸福」という理想は、誰もが共有するはずの欲望を正当化することから生まれる。そのときヘテロセクシュアルな欲望こそが、誰もがもつ原初的欲望の一つということになるだろうし、ホモセクシュアリティは、ジュディス・バトラーのいう「あらかじめ排除された」位置におかれることになりかねない。社会構築主義的な発想に慣れ親しんだわれわれにとって、セクシュアリティを「自然化」するフォースターは、規範的異性愛はむろん、そこからはみ出すさまざまな性のありかたも歴史と社会との相互作用のなかに存在していることを、ただ無視してしまっているようにみえる。そのとき、ホモセクシュアリティはへテロセクシュアリティ同様、あえて語る必要もない原初的欲望の位置を与えられるといってもよい。クローゼットのメカニズムにおいては、ホモセクシュアリティは特定の内容を失い、誰もがもつがゆえに特定化される必要のない(ヘテロ)セクシュアルな欲望と同じ地位に達する。リベラル個人主義はこうしてホモセクシュアリティを包含することができる。そしてフォースターを「生前ゲイであった作家」として論じようとするわれわれも、本質主義を完全に退けているはずはない。彼の(特定の)性的な秘密を特権化するところから出発するフォースターのクィア的解釈は、いつのまにか作家の主張にとりこまれて、(不特定の)秘密の欲望を、どの主体にもみられる核として前提してしまっている。一九八三年のロバート・K・マーティンの論文を嚆矢として、フォースターはエドワード・カーペンターに倣って「自然な」欲望を讃えた、という議論がゲイ・スタディーズの側から語り直されている。フォースターをゲイ民主主義の伝統におく議論が好むテクストは『モーリス』であり、実際この田園物語においては、農夫アレックが、無垢な自然の体現者として、階級の障壁を越えた肉体的愛にモーリスをいざなう。マーティンやクロード・サマーズがまとめているとおり、ケンブリッジにおけるモーリスともう一人の恋人クライヴの関係は、ジョン・アディントン・シモンズの教義に沿ったよりプラトニックで高踏的なものであり、これが最後には抑制されない、階級を超越した性愛によって来り越えられる。こうした「自然なセクシュアリティ」の賛美が、社会的抑圧の拒絶からきていることは確かだ。グレゴリー・W・ブレッドベックは、ホイットマン-カーペンター - フォースターというゲイ・リベラルの伝統をたどるみごとな論文で、カーペンターのセクシュアリティ賛美は、「欲望」なるものの否定と結びついている、と指摘している。彼の主張によれば、カーペンターはほとんど精神分析的な欲望の概念主体は、自分に欠如しているものを欲するがゆえに、けっして満たされることがない――をもっていた。「愛の新時代」(一八九六年)において、カーベンターは性的快楽を、「求めること」、つまり主体の欠如を埋めることへと向かう衝動とはっきり区別している。

[性的快楽に]ともなう不満足は[…] 快楽そのものではなく、求めることの性質のなかにある。外的なものを追い求めるとき、「わたし」は(本来はすべてをもち、なにも必要としないのだが)おのれを欺き、真の家から飛び出して、みずからを引き裂き、裂け目、亀裂をみずからの存在に見いだす。これこそ——みずからの存在を切り離し、分かつことこそ——罪ということばが意味するものだと考えねばならず、すべての苦痛はこれとともに生じる。苦痛は、外部のものや快楽を捜し求めることにあり、(たびたびいわれるのとは違って)外部のものや快楽それ自体にあるのではない。(Carpenter 1984: 102, Bredbeck 1967:334-35 に引用。強調原文)

カーペンターの「求める」ことの概念はほとんどラカン的といっていいが、彼の「わたし」、自己の概念はそうではない。精神分析の自己が不完全さによって定義されるのに対して、カーペンターの自己は、本来自己充足した完全体であり、満たしえない欲望に駆られる必要などない。彼の意図が、性に対する西洋近代の抑圧とともに、性への過剰な意味づけを取り除くことにあるのは明らかだ。「快楽は自然なものとして、性に(実際のところ必然的に)ともなうものとして、一種の自由な信仰とともにやってくるべきであり、生の目的として追い求められてはならない」(Carpenter 1984 : 103)。快楽は欲望の次元と切り離され、前者のみがあるべき性のありかたとして称揚されるわけである。ここで一つの偉大なリベラル個人主義の神話を思い起こしてもよいかも知れない。ロビンソン・クルーソーは、およそあらゆる種類の快楽が希少な場所に暮らしながら、自分がもちえないものへの欲望を表に出すことがなかった。彼が欲望するものは、彼が自力で作り出しうるものと一致する。もたざるものへの性的欲望をもたず、したがって近代的なメランコリーとも縁がないこの存在が、近代個人主義の一つの象徴となるとき、起こっているのはまさにカーペンター的な性の自然化=充足化なのだ。ブレッドベックは、この分裂を知らない自己の概念を、ホイットマンの「わたし自身の詩」の拡大していく「わたし」の系譜に正しく位置づけたうえで、さらにカーペンターの「民主主義に向けて」の分析へと進む。彼の考えでは、ヒンドゥー哲学の影響下にあるカーペンターの思想は、ホイットマンのような超越的なものではなく、時人のナルシシスティックな巨大化傾向をもたない。超越論を批判しつつ、「完全なわたし」の概念を擁護しようとする彼の口調は、ディコンストラクション的な主体批判に近づいてゆく。カーペンターの愛は、いわば非同一化のプロセスである。自己はじつは自分の全体性を維持しているわけではなく、もはや自分にとって外的なものではない愛の対象と一体化するからだ。彼はたんにホモセクシュアリティを讃えているのではなく、「あらゆる主体を西洋の主体概念のシステムから解放する」(Bredbeck 1997 : 50)ことを狙っているのであり、そして「互いに衝突するさまざまな存在のモードのあいだで引き裂かれる」(55) フォースターもまた、ただホモフォビアを非難しているだけでなく、アイデンティティという概念自体への根源的な批判の可能性を示唆している。われわれは第一章でエーデルマンに、第四章でデイムズに触れてきたが、ブレッドベックもまた彼らと同様に、脱構築的な立場から主体について語る批評家である。第四章でわれわれがみたのは、主体の同一性への批判が反転して、結果として空虚であるとはいえプライヴァシーの領域が保持されるという事態だった。ブレッドベックの「非同一化」の概念にも同じことはいえないだろうか。再三くりかえしているが、リベラル政治は、アイロニカルな、まさに自分自身に対して同一にならずに距離をおく「引き裂かれた主体」によって成立する。そしてフォースターの(隠れた)セクシュアリティについて語ることは、その分裂した主体になおかつ語るべき核を見いだそうとすることでもある。クィア批評は、本質主義アイデンティティの概念から完全に離れることはできない。文化的制約の構造を切り捨てて前向きにセクシュアリティを語ることは、生物学的「本質化」の危険をともなわずにはおかないのであり、この本質化がアイロニカルな分裂性と矛盾しないのがクローゼットの磁場なのだ。

pp.148-150

探偵の仕事は、ある集合——ここでは「理性的な説明」なるものの集合ということになるだろうか——がいったん閉じた世界に現れて、そこに新たな「一つ」を付け加えることである。不可能を可能にすることによって、世界を構成するものの無限の列挙に、また一つの暫定的な閉じかたを与えること。そして彼はこれを、犯人の欲望を読むことによっておこなうのだ、とコプチェクはいう。『わたしの欲望を読みなさいーラカン対歴史主義者』という書物において、副題で対比されている二つの思考の決定的な違いは、彼女のいう「歴史主義」、フーコーの権力論を敷衍していく思考法が、欲望の次元をまるで考慮に入れないこと、あたかも社会が事象の列挙によって記述でき、閉じることが可能であるかのように、「権力」というシニフィアンが究極のシニフィアンであるかのようにふるまっているところにある。「歴史主義」(ジジェクによれば、「主人のまなざし、歴史を安全なメタ言語的な距離をとって眺めるもの」 [Žižek 1992 : 80]には、二つのもの、欲望と「最終的なシニフィアンの欠如」が欠如しているというのだが、この二つの欠如は同じことである。最終的な対象にけっしてたどりつかず、つねに転移し、幻想によって対象aにつなぎとめられているのが、精神分析における欲望なのだから。ここにコプチェクのフーコー批判が、ありがちなリベラル左翼の批判と決定的に異なる点がある。リベラルなフーコー批判は、フーコーの「権力」——すべてを包みこみそれに敵対するものも生産する社会的力——と「自由」とを対立させ、フーコーとその追随者の世界には「自由」がなくしたがって希望もない、と続けるわけだが、コプチェクは自由ではなく欲望を権力と対比させる。コプチェクの探偵小説論で直接批判されるD・A・ミラー「小説と警察」の狙いは、フーコーの権力論を小説に応用して、小説というリベラルな空間が、自由を生産しているかにみえて、いかに権力に取りこまれているか、を示すことにあった。「権力」が古典的探偵小説を取り巻く場でもあるブルジョワ・リベラルのイデオロギーとほぼ一体とみられている以上、ミラーの図式では、犯罪者は自分の「自由」を信じて、権力の外部に立って体制を翻弄しようとするのだが、結局捕えられる。「自由」はむしろ、体制に順応し、その内側にとどまる者にこそ属する、という故調が読者に与えられるのである。つまり彼の重点は、犯罪がかならず解決され世界が閉じることにあるのだが、コプチェクからすれば、それは統計の自明さを信じている人々と、その不可能を知りつくす探偵とを同一視してしまうことである。探偵は統計の刺余としての欲望を読む。たとえば、じつは書斎に入った主人はやはり極の扉の奥にいたのだが、扉を破ってそこに踏み入った者は、無意識にそれを認めたくなかったがために彼を見なかった、といったこともありうるだろう。もちろん当人はそれに気がつかない。「生憎何も見えやしなかった。僕は取り分け普通の人間だ。人に見えないものが見えたりはしないんだ!」(京極 一九九四 : 一八八)。警察なら、目撃者は吸をついている、と考える。しかし優れた探偵なら、人間は自由な意志によって嘘をつくのではなく、不自由な欲望によって盲目になるのだ、と答えるだろう。そして統計が支配する整然と淀んだ共同体にもし外部があるとしたら、それはこの一瞬説明のつかない欲望だろう。だから探偵は、事件のたびごとに、あと一つの欲望を、整然としたコミュニティの規則に組みこんでいかなければならない。

p.158

コプチェクが、ロラン・バルトの「声のきめ」について語るとき (Copjec 1994 : 228)、またシルヴァマンがおなじくバルトの『明るい部屋』における「スチュディウム」と「プンクトゥム」の概念を語るとき (Silverman 1996 : 180-185)、いずれも強調されるのは、バルトがほとんど恣意的に既存のコードを逃れ、個人の眼(あるいは耳)が、およそ説明できない享楽を体験していることである。しかしこうしたきっぱりとした分類で抜け落ちてしまうのは、欲望ということばがどうしても二つの次元、〈他者〉の象徴界現実界の、両方にまたがってしまうこと、そしてわれわれがみてきた探偵の機能は、この二つのあいだの一時的な移行にあることではないだろうか。ミチャシュウの議論が危うくなるのは、眼の側の欲望と、〈他者〉の意向に沿ってモノ自体から主体を防御する欲望とを、彼がどうにか切り離そうと試みるときである。

pp.170-171

死を賭してまで、なにがなんでも兄を正しく葬ろうという己の幻想に忠実なアンティゴネーは、あらゆる困難を無視して突き進む。享楽はめったに訪れないが、しかし訪れたときにはどのような障害も破って主体を前進させ、あたりを一変させる真の「行為」をなす。こうした享楽は、ペニスを通じて日常的に出会えるようなものではないから、まなざしの制度的な力と混同されようもない。アンティゴネーの絶対的かつ例外的な享楽の強調は、安易に〈モノ自体〉を見いだすような態度への戒めとして働く。もっともこれもまた、われわれがすでに危惧していたような、絶対的な制度の外部、眼に属する独自の享楽を、あまりに概念として固定化してしまう方向だろう。ペニスとファルスの短絡をしばしば批判されてきた精神分析は、眼の、現実界の倫理をいっそう厳しくまなざしの領野から切り離し、さらにそれをアンティゴネーという女性に結びつけることで、男根中心主義という誇りに対抗し、同時にまなざし的なるもの批判の空間を確保しようとしているようだ。『操り人形と小人』でジジェクは、われわれの批判にあらためて答えるかのように、現実界象徴界の峻別に警告を鳴らしている。「〈現実界〉は〈象徴界〉の外部にあるのではない。 [……] (象徴界〉と〈現実界〉を分けることは、象徴的な身ぶりの最たるものであるだけでなく、象徴的なものを創設する身ぶりそのものでもある。〈現実界〉に足を踏み入れることは、言語を捨てて、混沌とした〈現実界〉の深淵に飛びこむことを意味しない」(Žižek 2003:106)。ジジェクの理論的立場は一貫しており、現実界とは言語とは別に存在する闇のことではなく、言語の内的な限界のことである。しかしその意味ではつねにどこにでもあるはずの現実界は、同じジジェクの著作のなかで、アンティゴネーやドン・ジョヴァンニをとおして、実体的かつ特別な場を与えられている。そのときふたたび、「岩のごとく」固い、堅忍不抜の欲動が姿を現す——どのようにしてそれが現れ、真の享楽の地位につくかはわからないが。〈他者〉を逃れる、このどうにもならず狂ったような欲動を強調することで、ジジェクやジュパンチッチは、制度を超えた倫理を語ろうとする。しかし彼らの文体は、やはり欲望と欲動を峻別し、その横断を圧殺して、明晰な秩序を打ち立てているようにみえる。これに対して、ほとんど同じ立場に立っているコプチェクの探偵小説論に、わたしがより親近感を抱いているのは、そこに欲望の移動があるからだろう——まなざしから眼へ、密室から新たな合理性へ。そのような移動の瞬間を見いだすことこそがわれわれにとっては快楽であり、この一瞬のぶれは、ひきつづき次章の主題でもある。

p.202

マゾヒズムとは、自己をむりやり外部へと開き、不快なものにあえて身をさらすことであるだろう。問題は、こうして自己を開くこと自体が、自己を拡大する営みでもあることだ。事実フロイトは、快感自我の発達以前には、より大きな、あらゆるものを包みこむ自我があったという。

pp.211-216

セクシュアリティの根源的な単独性は、『救済の文化』(一九九〇年)の昇華・ナルシシズム論でも徹底されている。ここでベルサーニは、文学や芸術が、現実の生における挫折や不完全性を救い、補償するものであるとする「救済」の発想を批判する。通俗的な昇華の概念では、セクシュアリティの領域における抑圧は、非性的なべつな領域に転換されるが、『救済の文化』においては、既定の「本来のセクシュアリティ」が存在し、昇華の対象はそこ以外に属するとする二分法は退けられる。他者=対象を消し去るベルサーニの方法は、この点ではゲイ・スタディーズが精神分析を利用し批判する際の一般的な姿勢と重なり合っている――欲望には決まった回路はなく、あらゆる対象に付着しうるし、だからフロイトがなんとか守ろうとした、幼児の多形的欲望から成人のヘテロセクシュアルな欲望への発達の物語は、幻想でしかない。ベルサーニは、フロイトのいう肛門性格が実際の肛門の快楽と切り離されているところから説き起こして、昇華は、そしてあらゆる性的経験は、現実にたまたま出会うだけの性的対象からじつは本質的には切り離されている、と論じている。セクシュアリティはそもそも特権的な対象をもたないのだから、昇華もまた性的リビドーの現れ方の一つにすぎない。こうしたフロイト読解が、異性愛中心主義の批判として有効なのはいうまでもない。問題は、この議論が「対象は定まっていない」にとどまらず、「対象は存在しない」と進むことだ。『性理論三篇』と「ナルシシズム入門」を読み進めるベルサーニは、自己愛をセクシュアリティの出発点であると唱えた上で、さらに進んで、その自己愛が解体する契機こそが自己の、したがってナルシシズムの原点なのだ、という驚くべき、とはいえ彼のプログラム全体からすれば当然の主張をおこなう。「自体愛の本能は最初からそこにある。ナルシシズムをもたらすには、自体愛になにか、一つの新しい心的な作用が付け加えられなければならない」(フロイト 一九六九c:一一二)とフロイトはいう。自体愛の段階では、統一された自我はまだ存在せず、断片的な各部位の感覚があるだけだから、フロイトはたんに、統合された自我がナルシシズムと同時に生まれるといっているようにみえるが、あいにく「自我の発達は一次的ナルシシズムからある距離をとることによって成り立つ」(一三〇)。したがって(断片的)自体愛、一次的ナルシシズム、(統合的)自我という三段階があることになるが、それでは自我に先立つ一次的ナルシシズムとはなにかといえば、フロイト自身はおよそ明確でないとしかいいようがない。ベルサーニは、ナルシシズムをもたらす「新しい心的な作用」とは、昇華、つまり明確な対象をもたない性的リビドーの備給であるとみなす。そしてこの時点では明確な自我がまだ成立しておらず、自我は自らと外部を区別することができないのだから、このリビドーは目標として自我以前の混沌とした「自己」に向かうしかない―これこそがナルシシズムである。つまり「自己」は最初から破壊され、断片化したものでしかありえず、ナルシシズムとはその破壊をこそ愛することなのだ。ナルシシズムを、本来他者へと向かうべき対象リビドーがたまたま自己に向けられたものとみなす、フロイトの(フロイト自身の洞察を裏切る)穏当な方向性はこうして全否定される。まず対象愛があるのではない。あるのは無への=自己への充当である。「昇華は性的な興奮を、ありとあらゆる偶発的な機会から蒸留する企てであり[……] そうした機会を燃やし尽くすこと、むしろただ純粋に燃えることの夢である」(Bersani 1990 : 37) 。こうした議論に対して、「ナルシシズムは対象をもたないと考えるとしても、昇華に対象がないという主張はとうてい受け入れられない」と、『女なんていないと想像してごらん』のコプチェクは批判している。根元に無のナルシシズムがあるとしても、リビドーの外的な対象は現に経験的に存在しているではないか。「ナルシシズムも昇華も、いっさい対象備給から独立していると考える」ベルサーニにおいては、性的な情熱のすべてが「自閉的なものに留まるしかない」(Copjec 2002 : 61)。「自己」とは、逆説的にもみずからが破砕する可能性を主体が感じたときに出現する、というベルサーニの議論を、コプチェクは受け入れているが、それでも彼女は、対象への、他者への欲動すべてを、こうして自己破砕のプロセスに回収してしまうことに異議を唱えているのだ。ベルサーニの思想が、異なるものの合一、一体化、相互理解、といったことばで語られる通俗的な性愛の概念への優れた批判であることはいうまでもないし、コプチェクも、合一を理想とするようなセクシュアリティの概念を復活させるつもりはないだろう。ただし彼女は、すべてが主体の内部で起こるかのような語り方は拒否して、欲動の対象が主体の外部に存在することにこだわっているのである。「欲動は、ミルクによっては満足しないというだけでは不十分で、すぐに付け加えて、欲動はにもかかわらず乳房によって満足するといわなければならない。欲動の対象は存在している」(61)。コプチェクはある意味常識的経験論に後退してみせて、自閉性に警告をならしているわけだ。われわれがさまざまなかたちでくりかえしてきた問い ークィア批評における「ゲイ」は、経験的に存在するゲイ・アイデンティティとどこまで重なるのか は、ベルサーニにおいてはこうして、独我論がどの程度他者=対象を組み入れられるか、という問題におきかえられる。そしてこれこそ『ホモズ』と『カラヴァッジオの秘密』が取り組んでいる問いだろう。『ホモズ』は、ゲイのゲイ性、固有性にこだわるところから始まる。「ゲイの不在」と題された第二章でのベルサーニの憂いは、「同性愛者」というカテゴリー自体への構築主義的批判が、むしろゲイの存在を見えなくしているのではないか、というものだった。これはわれわれが再三くりかえしてきた、脱構築クィア批評の問題点の一つである。モニーク・ウィッティグのような本質主義ジェンダー観の批判者は、男女の差異自体を解体しようとするが、結果として彼女はレズビアンアイデンティティまでをも解体してしまう 性差なしには同性愛の観念自体が成立しないからだ。つまり極度にラディカルな性差の批判は、ゲイの固有性を消去してしまう点では、なまぬるい同化のポリティクスに、つまりゲイがゲイのセックスにおいて成立していることをひとまず忘却し、人種的マイノリティと同じように、あらゆる人間が有しているはずの普遍的な人権の平等を求めるという政治姿勢に一致してしまう。「性的嗜好からくるアイデンティティの本質化を拒絶するとき、ホモフォビアへの抵抗から、抵抗の担い手は消しさられてしまう」(Homos 56) 。同性愛の固有性はけっして失われてはならないわけだが、しかしそのアイデンティティを語るベルサーニのレトリックは乱反射を生む。異性愛が性差という差異の特権化に基づいている以上、それと異なる同性愛の差異性は、なにより同一性に、「同じさ」にあるのだから。「同じさ」(セイムネス)という異なるアイデンティティを受け入れるのではなくラディカルに書き直すこと——アイデンティティの概念そのものを拒絶すること——によって、われわれを抹殺しようとするホモフォビアの企てに参加してしまう危険がある。同じさの固有性を強調することによってのみ、われわれを不可視にする規律の戦略との協働関係を免れえるのだ」 (42)。とりあえずこの「同じさ」は、あるゲイとべつなゲイが「同じ」アイデンティティをもっていることを指すのだろう。しかし同性愛の「同」の部分の固有性、つまり男と男は「同じ」という意味が、ここに響いてこないわけにはいかない。そしてこの意味での「同じ」は、男女の性差という「違い」に依拠したものでしかないのだ。事実、同性愛の欲望の特殊性としてベルサーニがまずあげるのは、性差を越えた同一化である。「女性の他者性を取り入れ肉体化することは、男性同性愛者にとって、欲望の素材の主たる源泉である」(Homos 60) 。同性愛が「同じ」であるためには、男女の性差は破壊されてはならない。ジュディス・バトラージェンダー・トラブル』は、一見ジェンダーの擾乱を記述しているようにみえるかもしれないが、むしろその擾乱性が「いかに規範に依拠しているか」(51)に自覚的であることをベルサーニは評価する。「同性愛の欲望は、すでにそれ自身とは異なるものに同一化した自己の視点からの、同じものへの欲望である」(59)。クィアになるためには、違ったものに同一化するためには、まずアイデンティティが、差異がなければならない。つまりベルサーニにとって、ゲイであることはすでにクィアであることであり、同性に欲望(同一化)するために異性に同一化(欲望)することが、ゲイ・アイデンティティを意味する。こうして男性同性愛をつねに女性化として語ることにはわたしは賛成しないし、前章で述べたように、この方法が異性愛規範を乗り越えることはけっしてない。しかしベルサーニは、いたずらに規範を乗り越えることに可能性を見いだし、現にある欲望のメカニズムを捨象することに我慢がならないのだろう。ゲイ・アイデンティティは、規範に縛られた戯れによってしか生み出されないのである。

71万5千時間の自由と孤独

 もう少しで四半世紀の時を生きたことになります。節目というやつです。節目を迎える時、人は各々思うことがあるでしょう。私の実感を書くと、かなり長生きしたなというのが正直な所です

 そもそも、人類は感覚が鈍麻してしまっていますが、四半世紀という時間は絶対的に長いのです。四半世紀、私の生まれた年から閏年も加算して弾き出すと、9,131日です。もう途方もない時の経過です。時間に置換すると219,144時間も経過したことになります。21万時間ですよ、頭がおかしくなりそうです。これをあと4倍するかしないかの間に殆どの人間は死にます。さて、1年は8,760時間です。現在の日本人の平均寿命は男性が81.64歳、女性は87.74歳。80歳、超えてたんですね…ちょっと掛け算してみましょう。計算結果の端数を切り捨てると、男性の場合、平均してこの世に生まれてから715,166時間の自由を与えられるそうです

 こういう書き方をすると「死んだら不自由なのか」というヤジが飛ばされそうですが、生きていたって不自由は付き物なので、これは単に好きな言葉を選んでいるだけです。「死んだら自由」とか言い出したらそれはもう哲学や宗教の領域の話なので、それはそれで尊重するとして、私ではない誰か他の適任者に任せることにします。71万時間の時の試練に耐えるなんて肉体は偉いです。この6桁を眺めると「良くやってるぞお前は」なんて褒めてやりたくなります。で…なにはともあれ、です。人間の殆どは、この6桁の制約の中で生命を終えます

 今回、私が話したかったのはこの死、いや、もっと先に進んで、私自身の死についての感性や態度についての、ナイーブな話です。以前の私は死に対して結構、怯えていました。今も、たまに考え込んで叫びたくなる時がないでもないですが、まあ、稀です。季節に一度あるかないか、程度にまで落ち着いています。これは人並みです。みんながみんな大小の叫びを抱えていて、死というテーマからは逃れられないんです。だから人並み。至って普通なんです

 ですが四半世紀の節目を控え、決定的な出来事があるわけでもなく、じわりと潮目が変わったようです。例えば寝る前、ふと誰かの死を想像してみます。すると気付くんです、かつてとは違い、他人の死によって大きな変化を与えられることはないだろうという自分に。人間的な感情を失ったわけではないです。私は今も昔も変わらず情緒的な人間です。むしろ涙もろくなりました。機能低下の心配もご無用。大事な人が亡くなれば、多くの人と同じように、当然のようによく泣いて、よく生前の思い出に浸ることだと思います。ピンピンしてますよ。ですが、「誰かの死」という出来事は、私の人格や生き方には何一つとして影響することはないでしょう。これが絶対だということが、身体で分かるんです。それで、というかそれが、何となく切ないんです

 不謹慎な言い方ですが、人間にとって最も過激な出来事である「死」に、ドラマ性がないんです。震撼を与えないんです。「事件」じゃないんです。ゲームで言うところのフラグが立たないんです。新たなルートに分岐しないんです。それは私の中に何も新しいものを呼び込む可能性を与えることはないんです。そのことに対する、ぬるい絶望感があります。深い絶望、じゃないです。「ぬるい絶望感」、です。多分、これが孤独というのでしょう。あるいはその始まりなんでしょう。同様の症状に陥った方には、私の使った「事件」や「ドラマ性」が、刑事手続とは全く関わりのない言葉だということだけは誤解なく把握して貰えると思います

 私はこれが、大人になったということなんだと思います。だから、このやるせなさを受け入れます。死がまだ「パターン」として登録されていない時、その衝撃は彼や彼女を未知の世界へと連れていく、案内人にもなってくれたでしょう。思えばそれは、年少者の役得だったのかもしれません。まあ、今では真偽のどちらにも値打ちはありません。全ては過ぎ去りました。とにかく、この寂しさと共に生きるというのが、大人として生きる上での条件だということを、私は私自身の心に諭されたんですね。こんなものは精神訓話でも何でもなく、ありふれた生の事実です。失ったもの一つ一つに対して個別的言辞を捧げるほど、現代人は暇ではありません。土俵を相手に相撲は取れない以上、誰もがその大地を踏みしめてゆく他ないんです。では何故、私は、こんなにも言葉を尽くそうと、努力をしているのか。胸の空虚が埋まらないんですね。精神的底無し井戸に、反響を期待しては言葉を投げ入れているんです

 私にもっと高度な日本語運用能力があれば、より解剖学的に、より論理的・構造的にテーマについて語ることが許されたはずですが、まあ私が平均通り生きると仮定すれば…あと50万時間ありますし、この問題については長い目で見て、なんらかの決着を付ける心算です。答えが出るかは神のみぞ知る

 まとまらない話ばかりが積もる、難儀な脳みそを全身で支えて生きてます

メモ:市村弘正『増補 小さなものの諸形態 精神史覚え書』

初版2004年。平凡社から刊行された一冊

誰も言及をしないようなもの、路傍の石ころのような問題を拾い上げ、それを群にまで高め、ある種の無限、ないしは宇宙を見るような密度の濃い文章が私は好きで、市村氏のものはその良い見本になっているのではないかと思います

個人的ベストを以下に引用します

 

「文化崩壊の経験」から

pp.25-26

 バルトークの透明度の高い感受性と一徹な認識の力は、すべてのものの「本来属する場所」の有り様に向けられた。そのことを考えるうえで、本来の場所すなわち「故里」について、亡命者ジャン・アメリーが与えた規定は示唆的である(『罪と罰の彼岸』)。すなわち、故里とは「知ることが認識を促し、認識したものからすみやかに信頼へと導かれる」場所であり、そして「感覚によって成り立っている現実」と結び合う世界である。私たちが自らの生きる現実を、設計図や統計表や数値によって認知し確かめるのではないかぎり(アメリーとともに、私たちは「まだそこまでには至っていない、まだそうではない」と言えるだろうか)、私たちは「見たり、聞いたり、触れたりして世界を知る」のである。諸感覚にもとづく認識をたえず生成し、またそれによって結ばれ確かめられる世界。バルトークにとっても、それが「本来の場所」であった。すなわち、感覚によって成り立つこのような現実に対するこだわりは「知的な作業へと誘なう、つまり回想とよばれるものである。」まさしく、バルトークにおいて「切断された根」が促す内省の運動は、「回想」という精神的作業を導き出すのである。

 

pp.37-38

 晩年のバルトークが身を置いた文化の崩壊とは、一方で、物事の「持続性」を稀薄にし劉奪し、その無意味化を加速するような新たな文化形態の蔓延と、他方、この地上に「地獄」を次々と作り出し、その全体化を常態とするような「文化果てた後[原文ルビ。ポスト・カルチャー]」(G・スタイナー)の状態とのあいだに挟み撃ちされ、宙吊りにされたということであった。そして少なくとも、「文化」のこの二つの状態は、それぞれ消費による忘却と破壊による抹殺を通じて、物事を「記憶する」という人間活動に敵対的である一点においては共通していた。

 これに対して、そのいずれにも組みこまれることを拒否し、見たり聴いたり触ったり嘆いだりすることによって成り立つ世界、そのような事物をめぐる共感覚的な世界を精一杯持ちつづけること、その世界を回想作業を通してたえず現前させることが、かれがその状態に耐えて生きることであった。文化崩壊にさらされた一身を賭して、それを不在の経験として受けとめたと言ってもよい。すなわち、不在というもう一つの存在の仕方における文化の行方こそが、残された可能性の場所であった。そうであるとすれば、バルトークの「回想」とは、ベンヤミン=アドルノ的回想についての評言を借りれば、「追憶(Gedacht-nis)というもののもつ、つまり想起する主観につねに先立つ客観についての敬度な回想というもののもつ救済の力」(マーチィン。ジェイ)を信じるものであったといえる。かれにとって回想は、ばらばらに失われたものを再統合する(re-member)ためではなく、むしろ、それを失わしめた世界の構成員であることから救出するために、その記憶を異物のごとく堅持する生き方なのであった。そして、このように深い動機づけによって支えられることがなければ、「記憶」は生きた精神活動たりえないであろう。

 

pp.51-52

(……)言語学者田中克彦は「大きな言語・小さな言語」と題する刺戟的な論考を、このような興味深いエピソード[モンゴル人の文部大臣からゴーリキーに宛ててモンゴルの近代化の為にどのような文芸作品を取り入れたらよいのか訊ねる手紙が送られたという話]から始めている。この挿話が教えるのは、それぞれの言語にとって「文学」は、けっして普遍的な概念ではなく、また内発的に形成される概念でもないということであった。それは小さな言語社会にとって、「輸入」されるべき先進的な外国語製品なのであった。あるいは、その製品規格に合致する言語作品が「文学」と呼ばれうるのである。

 このエピソードはもう一つ、文学が近代国家を支える基礎的条件を形づくることをも示している。すなわち近代化は、大きな言語にもとづく文学に参与できるかどうかに係っているのである。あるいは、そのような「文学」をもつ「民族」たりうるか否かに係っているのである。こうして、それぞれの言語が「文学」を名のる言語作品のもとに、平準化され統合されていくとき、狭い地域に密着する小さな言語は苦境を強いられざるをえないだろう。ここでは、小さな言語が小さいままに生きつづけることは難しいのだ。

 

p.54

 小さな言語による小さな文学が、老人と子供たちが織りなす語りの場と親和性をもつのはおそらく偶然ではないだろう。少なくとも近代以降の社会生活において、老人と子供の暮らしのリズムは少数派なのである。数の上でどれほど多かろうと、統一規格からはずれるかれらの生活感覚はマイノリティのものである。そうして、その少数者のあいだの語りの形式は、「声」によって生成する小さな言葉の領土を共有する。そこでは音声が大切にされ、擬態語や擬声語が意味本位の言葉と肩を並べ、ときに凌駕しているだろう。それは感情の深さをこそ伝えるだろう。意味(センス)の包囲網をすりぬける子供のノンセンスの音声が、そして言語の流通速度を変形する老人のゆるやかな語り口が、小さな言語の潜在的な同盟相手であるのかもしれない。切れ切れの声を発しながら遍在する少数派、というイメージが私の内で像を結ぶ。

 

「在日三世のカフカ」から

p.116

 カフカユダヤ人であることによって「生身の人間」であろうとしたのではなかった。むしろ、自分がユダヤ人としての条件に欠けること、かれには決定的と思われたその欠損を考えぬき生きぬくことを通じて、生身の人間であるほかない自己を受けとったように思える。虫になってしまったセールスマンや、横たわりつづけるだけの断食芸人や、地形をもたない測量師など、何もしない(できない)ことにおいて際立つものたちは、それぞれに抜きがたい欠損を抱えこんでいるだろう。それらは、身動きの自由な空間への欲求を表わすというよりも、その身動きの困難ないし不可能な状態こそが、自分たちに与えられた「可能性」の条件そのものであることを示しているようにみえる。

 

※孫引き

p.128

我々は、いまだかつてないことだが、自分自身のモラルだけを頼りに違う人々と生きてゆかなければならなくなった。我々の個を包含する共同体はもはや個々のモラルを超越するものを持たないのだから。パラドックスを背負った社会が形成されつつある。外人だけからなっていて、各人が互いに自分を、また他人を外人と認めれば認めるほど、自分とも他人とも仲良くやってゆけるという社会。個人主義を限界までおし進めた結果としての多国籍社会。その個人主義にあるものは自分の不安と自分の限界に対する自覚、わかっているのはただ自分の弱さこそ自分を助けるものであるということ。

(ジュリア・クリステヴァ『外国人』)

 

「家族という場所」から

pp.167-169

 家族とは時間的な存在である。人が祖父母—父母—子—孫という名前の体系のなかを生きるというとき、それはまた、言葉の贈与関係を生きていくということであった。私たちは家族あるいはそれに類似する母胎から言葉を受けとる。家族の機能がいかに切り縮められ、どれほど変質しようと、生をうけた子供にとって言葉を受けとる場はさしあたり他にはない。そして、言葉を手渡しつづける伝承体であることによって、家族は固有の時系列を受け伝える。一個人が見渡すことのできる時間の幅は、ほぼ祖父母から孫におよぶ範囲であり、それは言葉が受け渡しされる幅でもある。

 しかし同時に、祖父母の言葉はそれ以前の時から贈られた言葉、つまり死者たちの言葉であり、また孫の言葉は、祖父母や父母にとっては自分たちが死去した後の時間を生きていく言葉でもある。すなわち、家族のなかの言葉は、未生以前の時間と死後の時間とを包みこんでいる。したがって、一人の子供の誕生は家族を貫く時間を始動させる。動きだした時間は、成員の地位や役割の移動と変換、つまり親や祖父母に「なる」ことを通じて、それぞれを集団的時間のなかを生きていく(死んでいく)存在とするのである。

 そして、家族に固有の時系列を生きていくことは、それぞれの身体の成長と衰弱とともにあるものであった。痛風で苦しむ足やひび割れて痛む手とともにあるものであった。この時間過程における身体的な盛衰を、いわば平等に映し出し、変換する装置として名前の体系が作動する必要がある。たとえば、身体の衰えがみえる者には、それに相応しい「位置」が必要なのである。このような位置の移行と役割の変更とにおいて「平等性」が考えられよう。そのとき社会的カテゴリーの受容は、家族構成員の身体的な時間感覚を、文字通り身辺からの社会意識と歴史意識とをかたちづくる母胎とするだろう。

 そのことは、家族成員における親密さと情緒性の意味転換をも促す。社会的諸関係から隔離されたところに成り立つ接触の全面性とは、おそらくは錯覚である。少なくともそれは、日常的な接触経験を単純で未分化なものとするだろう。成員それぞれの年齢や世代がもつ差異についての「認識」や、それぞれの肉体の老化や衰弱についての「観察」、それにともなう地位の変換に対する「解釈」などをもたらす日常的身体的接触は、役割の解消に傾く情緒的関係や親密性の塊のなかから切りわけることは難しい。このかぎりで、全面的関係における事態の複雑さとその認識は、役割の追放ではなくその受容において、地位の消滅ではなくそれぞれのカテゴリカルな位置において、むしろ可能となるのである。

 

pp.190-191

 かつて或る批評家は、二十世紀の真に検討に値する思想はすべて、故郷喪失という主題をその出立点としている、と指摘したことがある。この時代において何事かを考えようとするとき、それが都市化され流民化された事態のなかに置かれていることを知らなければなるまい。つまり、都市を生きるとはどのような生のかたちを身に帯びることなのか、という問いが再び三たび立てられねばならないのだ。すなわち、文明 = 地獄は過去の経験となり果てたのか。生物学的な基礎に立ち戻る社会認識は研究者にのみ意味のある作業にすぎないのか。都市文明がはらむ破壊性は局地的な現象として始末がついたのか。

 社会生活から共同性の被膜を剃ぎとってゆく大都市の破壊力は、私たちの生存の形態をどのようなものとしているのか。或る作家は、貧民の都市経験それ自体の認識に立ち戻ることによって、この問いを立てなおした。すなわち、大都市の制御不能の成長がすべてを破壊していくとすれば、貧民の共同性を改めて問うことが不可避となるのではないか、と。

「標準語」の形成史

 ヘボン編纂の『和英語林集成』にある「緒論」の記述が私たちに教えてくれることは何でしょう。それは、「明治初期には既に日本を代表することばとしての東京語の地位が固まりつつあった」という事実に他なりません。では、引用しましょう

“…but since the restoration and the removal of the capital to Tokyo, the dialect of the latter has the precedence.”

(しかし、復古して東京に首都が移ってからは、東京の方言が優先されるようになりました。)

 

 「標準語」のルーツを江戸時代に求める時、不特定多数の人に語り掛ける講義物のことばや、「お屋敷ことば」などの丁寧な町人ことばが注目されます。江戸後期にはすでにスタンダード(規範言語)と呼べるものが育まれていたと解するべきでしょう

 江戸後期になると「上方語」と共に「江戸語」も日本全国に通用することばとなりました。それまでの上方語的要素を脱して、関東方言につきまとう野卑な印象を捨てて、上品で権威ある都市のことばとしての独自性を見せるようになります。都市のことばとしての「江戸語」の成立です

 裏返せば、前期の江戸市中のことばは関東方言をはじめとして上方や東海道筋のことばが入り乱れていました。江戸前期には、関東方言にもとづく野卑なことばである「六方詞」というものもあったようです。というのも16世紀末期から17世紀前半の段階では、江戸はまだ城下町としての体裁を整えていませんでした。三河遠江駿河といった東海道筋の武士団は、その頃に徳川氏に付いて江戸に移住してきました。やがて町人層の中核をなすことになる上方や東海道筋の商人たちの江戸への進出は、この後の出来事です

 少なくとも元禄年間までは「江戸語」というほどのものは成立していませんでした。それが19世紀になると、日本語が言語的に上方語と江戸語との二大言語による「二元対立の時代」になる。江戸語は、当時の規範言語たる上方語を基調にして、さらに関東方言的要素が加わったものと考えられます。これをベースとした今日の「標準語」とは、江戸の時代に或る一定の社会層に行なわれた一部の言語を固定化永久化し普遍化したものに過ぎないわけです

 その役目を大いに担ったものが辞書です。国語辞書とは日本に限らず、近代国家に相応しい体裁を整えるための重要な道具でした。「日本語の近代化」を達成するためには近代的な文法論が必要であり、それを辞書においてはじめて実践した人物が大槻文彦です。「標準語」であるかぎりは知的内容の表現に堪えるものでなければならないという要請は、新聞等に用いられた「標準的」な文語文である「明治普遍文」等、知的内容を表す文体の発明を促しました。この標準語の基盤としての「江戸語=東京語」は、日常生活語としての東京語、都会語としての東京語とは別に、教育・報道の言葉として全国に普及しました

 ここまで早足に歴史を眺めたわけですが、「標準語」が、時代・地域・身分・職業・年齢・姓を超えたものとして形成され、個人的性格を排除した中立的な言語表現のなかに成立するものとして規定される時、方言等の、知的内容の表現に堪え得ることが認められない言葉が排除されるというネガティヴな宿命とは別個に、一つの問題が浮上してくると私は考えています。それは、「標準的」ということが国民の知的平均値を維持すると同時に高めるべき標準ないしは理想と密かに意識されている、ということです。その主導者は政府であり、政府は「標準語」を国家の社会的な統一を達成するため国民の知的平均値を引き上げ発展させるものとして用いています。検討すべきは、こうした理想の想定が、現実では巧妙に秘匿されているということです。「江戸語→東京語→標準語」といった単線的図式が誤りであるのにも関わらず、その誤った認識が人々に自然と受容されていることは、それに対する傍証となり得ることでしょう。そこでは、江戸後期には町人たちが担い手となって既に規範言語が形成されていたという事実が埋却させられてしまっているのです

 全国へと普遍化された常態としての「標準言語」は、実際の所多数や平均そのものではなくて、むしろ、これらを引き上げるための理想であり、東京のある一定の社会層に用いられた一部の言語を、基盤化しようとした成果物と言えます。『言語学雑誌』(1901)の中で「理想とする文」の「意義」が論じられているように、その実態が高く設定された「標準」観念に支えられたものであったことは、言文一致体にも言えることです。「標準的」な文語文である「明治普遍文」も同様です

 そのような観点に立つと、今日における言語活動の性急な英語化、現在の都知事が馴染みのない非実用的な和製英語を濫用する実情は、単なる「海外かぶれ」ではなく、理想としての「標準」の文脈で理解されるものだと考えられます。近代的な国家語としての日本語は無効化されましたが、「標準語」の形成に際する意識の問題に関しては、現在に地続きの問題だと言い切ってしまって良いはずだと、浅学ながら私は考えているのです

解死人という制度について

 最近はまた暑い日が続きますね

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 中世日本のお時間です

(上の絵は江戸時代のもので全然関係ないです)

 社会的なトラブルが発生した際、殺伐の世を生き抜く彼等はそれをどう解決していたのか

 今回は割合マイナーっぽい「解死人」という制度の話をします

 中世日本を語る上で外せない特徴は、とにかく「自他の生命観が軽いこと」です。それは何故なのか、まずこの前置きから進めていこうと思います

 

 中世日本は農業技術が未熟で生産基盤が脆弱でした。加えて、山野河海など「所有のはっきりしない領域」というものが各地に点在していました。奪い合いが慢性的に発生する負の温床があったわけです。更には「武士」の存在。些細な事でも街でトラブルが発生する時代、これは現代もそう変わらないと思いますが、常に武器を持っている武士が起こす「トラブル」が行き着く先は「殺し合い」です

 「無礼な奴め」と武士を激昂させた時にはもう明日はありません。また「無礼なふるまい」が本当に無礼であったのかも現代の調査からは不明で、真偽の怪しいところです。またこれも容易に想像のつく話ですが、トラブルが特に起きるのは宴会でした。酔っ払った人間同士、場合によっては誤解が発展、ついには刺し違えて果てることもあったそうです

 鎌倉幕府基本法典である御成敗式目ではなんと「悪口(あっこう)」が禁じられています。過激な例だと、単にほほえんだだけでも相手に嘲りと受け取られて殺される例もあったそうです。恋愛感情に基づくトラブルも勿論あります。「いつどういう理由で死ぬか」が現代とは比にならないほど「読めない」時代だったことが明白に解りますね

 室町時代になると、京都への武士の集団移住によって社交の機会や接触が増えました。これはつまり、トラブルの範囲も増えるということです

 抑圧されたストレスの爆発は、暴力への発展を容易に許します。先程の「嘲り」で斬り捨てられる例が良い証明になっていますが、中世人はどうも「誇り」を非常に重んじたようです。身分社会で主従コードは常にありますが、中世人にとって最終的に価値があるものは内的倫理や体面であったと推察できます。突発的な暴力の土台を形成していた大部分はここにあり、自他を問わない生命の軽視と表裏一体だったんですね。安土桃山から江戸初期を知るヴァリニャーノは彼自身の見聞を基に「日本人の悪徳」というものを指摘しました。『日本巡察記』では「主君に対して忠誠心が欠けている」云々、と分析がなされています。近代以降になって美化された「武士道」や「侍」と中世の武士の在り方はだいぶ異なっていることも同時に知ることが出来る、正に貴重で優れた報告だと言えます

 武士が武力をいつでも行使することの出来る存在だったのは中世日本においてであり、これは本領を発揮していた、とも言えますが、実態はむしろ、先にヴァリニャーノが指摘したようなものでした。「下克上」上等、主君はむしろ自らが選ぶものという世界観。極めて功利的な判断で動いていた武士像がここで浮かび上がります。武士にとって主従関係はあくまでも互恵性が大前提とされていたのですね。ヴァリニャーノはキリスト教の宣教師だったので誇張がある可能性は考慮しますが、彼は日本人の残忍性を指摘してもいます。「切腹」は武士である自らの誇りを最終的に保つために「容易に」行われたそうです。内心引くに引けなかったのでは、などお私は邪推しますが、それでも彼等はやり切ったので、流石と唸らざるを得ません

 

 と、長い導入を経てやっと本題に入りますが

 

 さてここで出てくるのが、「相論」という言葉です。これは便利な言葉で、中世では紛争や訴訟をひっくるめて、そう呼んでいました。列島全体を覆うような統一政権が成立していない中世では、法制度が未成熟でした。訴訟に関する考え方の基本は二つ、「当事者主義」と「自力救済」。前者は当事者の行動がなければ裁判には至らないとする考え。後者は問題解決は当事者が能動的に行うとする考え。詰まる話「全部は面倒見切れないよー」って話ですね。そして治安の荒廃を招くのは、言うまでもありませんが、後者です。これが場合によっては私戦にまで及びました。自らの手で立場を回復せよ! というのですから当然ですね。なので、豊臣秀吉は「惣無事」という平和令を発布して、勝手に「自力救済」を行った者には磔等の厳しい処罰を下したわけです。中世から近世にかけての世相の変化は、「自力救済」を否定する統一政権の誕生と軌を一にしています。その前史である中世社会においては権力が分散していたので、訴える先が決まっていなかったと。治安は最悪でも、選択肢があるって素敵ですね! こうした事情によって、中世人には自分にとって有利な判決をもたらしてくれそうなところに訴える判断力が求められたのです。どこまでいっても功利的・打算的

 この中世日本人の基本的性格は、現代でいう「警察」も例外ではありません。中世の訴訟に関する考え方の基本は「当事者主義」です。これは、当事者の行動がなければ裁判に至らないといったものでしたね。現代はそれと真逆の職権主義です。ですが、当時は「検断」によって犯人の財産を没収することが出来る「検断得分」が存在しました。よって、権力が恣意的な検断をすることも少なくなかったわけです。権力に対する批判の声が上がること必至ですが、まあ、彼等からすれば「どこ吹く風」といったところでしょう。凄まじい時代です

 ここまで読まれた方にはお分かりかと思いますが、中世人の精神性として、一度敗訴したくらいでは簡単には引き下がらないんですね。自己の立場の回復に積極的なわけです。そこで何をするかというと、越訴を行います。中世での越訴は「再審の請求」です。その全てに取り合っていたらきりがないので、権力者、というかまあ、例えば鎌倉幕府は越訴を制限しようとします。じゃん、不易法の登場です。「過去のある時点から古い判決は再審しないよ」と突っぱねます。しかし、そこで工夫を凝らすのが中世人。権力者に訴訟を代行してもらう「寄沙汰」を巧みに利用してすり抜けようとしてきます。そして、これは非合法ではありますが暗黙に承認されていました。これには比叡山延暦寺等の山門が絡むので、向こうも面倒は避けたかったのでしょう

 この「寄沙汰」を知った時、私はハッとしました。中世人にとっての「自力救済」は、必ずしも最終的な相論解決の担い手が自分自身であることを意味しなかった、ということに気付いたのです。中世人にとってのトラブル解決とは、相手を承伏させたという結果を得ることが不動の第一義であって、物事の筋といった道徳的正しさやかくあるべきといった意識は、存在の如何にかかわらず、行動の指針として外化されることは無かったということです。もちろん、学者じゃないので、この考察が完全な事実誤認かもしれないという可能性も考えますが、それにしてもちょっと衝撃というか、これは私にとって大きな発見でした

 でまあ、話は戻りまして、中世社会では公権力が介在する法廷での紛争解決以外にも、様々な慣習が展開していました。例えば「故戦防戦法」。故意に戦を持ち込んだ者は重罪、戦いにさらされた側は減刑や無罪、という決まり事です。結局、泥沼化するんですが。重要なのは、「相当(あいとう)の儀」です。これは報復の暴走を抑止するために設けられたルールです。争いが起きた際の解決手段として、衡平感覚に基づく相殺主義が採られました。互いの被害の釣り合う点を落とし所にして、あとは水に流そうという平和的とも悪魔的とも取れる発想法です。これ、当事者だけではなく、当事者が所属する集団含めて「釣り合わせ」が行われることもあったんですよ。無関係の者が巻き添えを喰うわけです。かつ「相当」はあくまで主観に基づくものなので、過剰に至る皮肉も含んでいました。ですが、理念的には広く支持されていたようです。破局的結末に至るくらいなら痛み分けをしようという、合理的な思考を働かせる中世人の側面を、ここに見出すことができそうです

 ここまで長々と書きましたが、強調したいのは次のことです。ずばり、中世人には「残忍性」や「野蛮さ」という、当時の宣教師や現代人の目を通して否定的に捉えられる性格がある一方で、損得勘定や功利的判断という、一見して正反対に思える要素もそれらと対立することなく基本性格として併存していた。…だけではズッコケなので、これをヒントにして、先に取り上げた「寄沙汰」と「相当の儀」に共通するものを指摘したいと思います。それは、理非に対する結果の優位と、「代理」の観念もしくは感覚です。前者はすでに書いたことですね。なので後者の「代理」について。これは、個人が引き起こした問題に責任ある主体として率先的に振る舞うことに対する内的な要請の弱さを表すものです。寄沙汰では権力者への相論解決の委託、相当の儀では共同体への責任の分散として、それを認めることが出来ます。その上で私が考察したいのが、同時代に存在した「解死人」という制度

 「解死人」というのは、謝罪人の一種です。一方の敗北がほとんど確定的だとか、そういったトラブルのおおよその決着がついた時に出て来るんですね。この解死人、原則として生命の保証はありません。「は?」と思われるかもしれませんが、ありません。相手は謝る人間を見て優越感や名誉心を満たして許すこともあるかもしれませんが、場合によっては無慈悲に殺されることもあります。もう、ドン引きとかそういう次元を超えてますね。正気ではありません。解死人の主要な構成員は下層民でした。この制度については色々な切り口があると思いますが、こと日本人の精神性という観点からこの解死人制を見ると、意外な現代との繋がりが見えてくるのではないだろうか…と私は考えます

 前述した、中世人の功利的側面を構成していた理非に対する結果の優位と「代理」の観念もしくは感覚は、日本人の気質として現代に引き継がれているのではないか、という仮説です。それに付け加えて、記事の前半で言及した中世における武士身分の「名誉」観念は、現代では「世間体」へと一般化された形で継承されているとは言えないでしょうか。これを巧みに経済化したサービスがありましたね。そうです、「謝罪代行」。あるトラブルに際して、依頼者の身代わりとして謝罪を行いその報酬を得ることを事業としている謝罪代行会社は、利用するものと利用されるものとの関係性が逆転しただけで、構造的には中世社会における解死人制の反復と捉えることが出来るはずです。2013年に『謝罪の王様』という映画が公開されました。宮藤官九郎が脚本のコメディです。この作品では「謝罪師」を名乗る職業人が主人公となり、そこそこのヒットを飛ばしたそうです。そして現実に記録・報告されている大量の謝罪代行サービス利用者数は、中世にまで遡る日本人の精神性の一側面を伝える立派な証拠です。私はここに、中世の一制度という枠を超えた「解死人」の現代性を認めたいと考えています

 

 中世日本に関しては奥深さを感じながら知らないことだらけで済ませているので、色々と本を読んでみたいと思います。働き始めたら歴史の話とか出てきそうですし。サラリーマンって好きですよね日本史。まあその気持ちはわかるような気がします

ではまた

天使主義的なるもの

Clip OCRというアプリが非常に使い勝手が良くこれまで重宝していたのですが、少し使っていない間に管理主体がアプリの資金化に積極的になってしまったようで、このたび泣く泣く利用をやめました。利潤追求自体は正当ですので、むしろこれまで無料で利用させて貰っていたことに感謝すべきことは明らかです。ですが、サブスクライブに同意しなければ是が非でも通さんという、運営の突如の豹変ぶりに対しては、一ユーザーとして嘆息する権利があることもまた事実でしょう。とまあ、最初から横道に逸れてしまいましたが。それはさておき

 

ちょっと哲学っぽいテーマです

アドラー氏は人間と純粋な知性の存在を同一視することで起こる問題を「天使主義的誤謬」(angelistic fallacy)という言葉で表現しました

私はアドラー氏の思想や功績について門外漢ですが、これは何だかロマンチックな言い方で好きです

無学な私は天使というとサイゼリヤが浮かびますが

この言葉、日本では全く広まらなかったようで、私もネットサーフィンをしていなければ知ることのないままでした。稲垣良典さんが日本に紹介した新トマス主義者のジャック・マリタンという方が言った「天使主義的虚偽」も先のものと同じ事態を指しているようです。邦訳されたマリタン氏の著作には『三人の改革者』がありこの言葉も本書に記述されているとのことですが、手にするには何かとコストの掛かる一冊です。読んでみたいと思ったのですが今は諦めています

「天使主義的誤謬」について私が思ったことは、これは見方によってはキリスト教にとって相当危険な態度なのではないか?ということです

人間は常に自分の行動について完全な知識を持ってはいないので、そこには大なり小なり過失が伴います。完璧な人間はいないということです。そして、過失とは赦しを誘います。誰もが間違えて、誰もがそこから学ぶからです。説教をするようで気恥ずかしいですが、事実として、人は過ちを受け入れてそれを周りからも認められることによって成長を果たします。つまり赦しとは、自らの行動を完全には把握できないという人間存在の根本的な弱さを認めることです。一方、マリタン氏やアドラー氏の言う「天使主義的誤謬」に陥った論理では、人間が天使的に振る舞う主体として想定されてしまいます。これが極めて危険なのではないかと私は考えました。何故ならば、そうした世界観の中にはそもそもの過失が生まれる余地がないからです。過失がないのなら罪もまた生まれません。すると赦しの存在する根拠も連鎖的に剥奪されてしまうことになり、詰まるところは、キリスト教的な「神」の存在理由を根底から否定する結論に至ってしまうのではないか?と思えてならないのです。この誤謬に陥っている人は人間のみならず神に対しても冒涜的ということです

だから何だという話ではありますが、この「天使主義的誤謬」という言葉が、近年のアメリカで顕著な、有名人の不都合な過去(ちょっとした過去の失言や判断の過ち)を掘り出して「断罪」を求める社会的風潮へのカウンターとして持ち出されている例を目にしました。アメリカではキリスト教徒が多数派だという話を以前聞いたことがあったので、この問題を倫理ではなく論理の側面から追求してみたいと思ったのが今回やや長めの記事を書いた動機です

私が今読んでいる『悪』という本、その著者である樫山欽四郎という人は、「罪」と「悪」とは別のものだと喝破しています。言葉が違えば意味もまた然りということで、確かに当たり前ではあるのですが、論じよと迫られると途端に困るのがこの二つの区別ではないでしょうか

人間の悪とは何か、罪とは何か、赦しとは何か……重要な問題です。私は今は無心論者ですが、そんなことを考え続けていると、いつか神を信じる向きに傾いても不思議ではありません

ただ私がもしそのような精神的な生活を選ぶとすれば、もはや想像することしか叶わない、神なるものを生み出した最古の人々の計り知れない苦悩と情熱との前に跪くことになりそうです。それは、純粋な信仰とは異なるものになることでしょう

思い出すこと

 中高に金子先生という国語の先生がいました

 その人から授業中言われた事を思い出してました

 中学の後半か高校に上がってすぐの頃で、作品名は忘れましたが現代文の朗読をしてた時に先生から「お坊さんが読むような読み方だね」という意味の言葉を掛けられました

 私は先生が好きだったので嫌な気分はしませんでした。そうでなくとも私は昔から人前で朗読をすることでさえ強い緊張を覚える小心の持ち主だったので、変に硬直した形で背筋が伸びた自分の声や抑揚の付け方をそうやって指摘されたことには、どこか先生がユーモアで先手を打って救ってくれたような優しさすら感じました

 こうして過ぎ去った日のことをあれこれ思い出して何事かを主張したいわけでもそこに特別な重みを与えたいわけでもないのですが、ただ自分の生きてきた暦の内にこういった一瞬が隠されていたことが記憶の闇に埋却されてしまう前に、細やかながらも書き記しておきたいという欲意に動かされました

 その人は3年前の夏に死にました

 お墓参りにはまだ行けていません