痛見心地

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「標準語」の形成史

 ヘボン編纂の『和英語林集成』にある「緒論」の記述が私たちに教えてくれることは何でしょう。それは、「明治初期には既に日本を代表することばとしての東京語の地位が固まりつつあった」という事実に他なりません。では、引用しましょう

“…but since the restoration and the removal of the capital to Tokyo, the dialect of the latter has the precedence.”

(しかし、復古して東京に首都が移ってからは、東京の方言が優先されるようになりました。)

 

 「標準語」のルーツを江戸時代に求める時、不特定多数の人に語り掛ける講義物のことばや、「お屋敷ことば」などの丁寧な町人ことばが注目されます。江戸後期にはすでにスタンダード(規範言語)と呼べるものが育まれていたと解するべきでしょう

 江戸後期になると「上方語」と共に「江戸語」も日本全国に通用することばとなりました。それまでの上方語的要素を脱して、関東方言につきまとう野卑な印象を捨てて、上品で権威ある都市のことばとしての独自性を見せるようになります。都市のことばとしての「江戸語」の成立です

 裏返せば、前期の江戸市中のことばは関東方言をはじめとして上方や東海道筋のことばが入り乱れていました。江戸前期には、関東方言にもとづく野卑なことばである「六方詞」というものもあったようです。というのも16世紀末期から17世紀前半の段階では、江戸はまだ城下町としての体裁を整えていませんでした。三河遠江駿河といった東海道筋の武士団は、その頃に徳川氏に付いて江戸に移住してきました。やがて町人層の中核をなすことになる上方や東海道筋の商人たちの江戸への進出は、この後の出来事です

 少なくとも元禄年間までは「江戸語」というほどのものは成立していませんでした。それが19世紀になると、日本語が言語的に上方語と江戸語との二大言語による「二元対立の時代」になる。江戸語は、当時の規範言語たる上方語を基調にして、さらに関東方言的要素が加わったものと考えられます。これをベースとした今日の「標準語」とは、江戸の時代に或る一定の社会層に行なわれた一部の言語を固定化永久化し普遍化したものに過ぎないわけです

 その役目を大いに担ったものが辞書です。国語辞書とは日本に限らず、近代国家に相応しい体裁を整えるための重要な道具でした。「日本語の近代化」を達成するためには近代的な文法論が必要であり、それを辞書においてはじめて実践した人物が大槻文彦です。「標準語」であるかぎりは知的内容の表現に堪えるものでなければならないという要請は、新聞等に用いられた「標準的」な文語文である「明治普遍文」等、知的内容を表す文体の発明を促しました。この標準語の基盤としての「江戸語=東京語」は、日常生活語としての東京語、都会語としての東京語とは別に、教育・報道の言葉として全国に普及しました

 ここまで早足に歴史を眺めたわけですが、「標準語」が、時代・地域・身分・職業・年齢・姓を超えたものとして形成され、個人的性格を排除した中立的な言語表現のなかに成立するものとして規定される時、方言等の、知的内容の表現に堪え得ることが認められない言葉が排除されるというネガティヴな宿命とは別個に、一つの問題が浮上してくると私は考えています。それは、「標準的」ということが国民の知的平均値を維持すると同時に高めるべき標準ないしは理想と密かに意識されている、ということです。その主導者は政府であり、政府は「標準語」を国家の社会的な統一を達成するため国民の知的平均値を引き上げ発展させるものとして用いています。検討すべきは、こうした理想の想定が、現実では巧妙に秘匿されているということです。「江戸語→東京語→標準語」といった単線的図式が誤りであるのにも関わらず、その誤った認識が人々に自然と受容されていることは、それに対する傍証となり得ることでしょう。そこでは、江戸後期には町人たちが担い手となって既に規範言語が形成されていたという事実が埋却させられてしまっているのです

 全国へと普遍化された常態としての「標準言語」は、実際の所多数や平均そのものではなくて、むしろ、これらを引き上げるための理想であり、東京のある一定の社会層に用いられた一部の言語を、基盤化しようとした成果物と言えます。『言語学雑誌』(1901)の中で「理想とする文」の「意義」が論じられているように、その実態が高く設定された「標準」観念に支えられたものであったことは、言文一致体にも言えることです。「標準的」な文語文である「明治普遍文」も同様です

 そのような観点に立つと、今日における言語活動の性急な英語化、現在の都知事が馴染みのない非実用的な和製英語を濫用する実情は、単なる「海外かぶれ」ではなく、理想としての「標準」の文脈で理解されるものだと考えられます。近代的な国家語としての日本語は無効化されましたが、「標準語」の形成に際する意識の問題に関しては、現在に地続きの問題だと言い切ってしまって良いはずだと、浅学ながら私は考えているのです