痛見心地

思ったこと感じたこと、おふざけ、メモ、たまに感傷的になったりと、ここは「しもうさ」の自由な文手箱です

近況

一月末から休職をしている。

いま思えば年末から既に様子はおかしかった。体調不良と仮病を連発させた結果、十日以上もあった有給はすべて使い果たしており、そのあとには欠勤を何度か繰り返した。なので上司からも危ぶまれてはいた。よく「仕事中の感情の起伏が激しい」と指摘されていた。信じられない失敗を繰り返して、日に日に挙動不審になり、電話ひとつする時もわざわざ会議室に逃げ込んだ。つまりは時間の問題だった。

最後の朝、始業時間になっても布団に潜りつづけて二十分以上が過ぎたことを確認したとき、自分がとっくに擦り切れていることを認めた。上司に電話をした。それから眠り、昼過ぎに起きて勢いで産業医と面談を行い、産業医というものが全くのお飾りにすぎないことを学んだのち、そのまま予約をとってメンタルクリニックへ行った。

適応障害うつ状態の診断がくだるだろうと予想していると、診断書にはうつ病と書いてあったので、「ほう」と思った。妻に伝えると案の定という反応で、それをもって特別な親切をしたり責め立てることもなく、ポンコツになりました。とりあえず休みます。という報告を、はい。と受理してもらった。

互いに、この一連の流れにはさほど驚くこともなかった。じつのところ、ある程度は予想通りだった。新卒のときにも、年が明けてすぐに限界を迎えた。年始から二か月をまるまる実家で休んでいた。妻と付き合ったのはその直前のことだったので、「またか」というわかりきったきぶんがあった。この人間としての進歩のなさは一種の愛嬌ともいえるけど、その時は自分の受け持っている仕事をどうするか、酷く気を揉んだ。憂鬱がギプスのように硬く全身を固定して、身動きも取れずに延々と落下をしていくような絶望感があった。

結論としては、自分にしかできない仕事なんてものは無かった。ある日だれかが忽然と姿を消しても、物事はなんとかなる。これだけは絶対自分がいないと回らないという考えは、中程度から重度のうつ状態が陥らせる錯覚に過ぎない。それは責任感の発動ではなく、思考能力の低下のあらわれだということは、時間を置いて必要な休みを取ることで自然と認められるようになる。悲しいことだがこの事実を改めて教えられた。思い上がりを諭される気分でみじめでもあったが、すべてを投げ出すと気楽だった。

休職届はいまのところ二月末まで出している。ただ担当医が休みを延長する診断書を出したので、もうひと月延長する見込みだ。同じ失敗を二度も繰り返してようやく、自分を当てこんでいた「社会」とのクラッチの切り方をおぼえた。下手くそで出来なかった。強がるわけじゃないけど、これはことのほか大きな収穫だった。毎日がゆっくりと過ぎていく。

 

今日カリンバを買った。十七個の鍵がある楽器で、指で弾くと綺麗な音が出る。家から徒歩圏内にある楽器屋に行って、五千円で買った。一個しか置いて無かったが、一個しか無いので即決だった。まさか置いてあるとは思ってなかったし、店員もこんなの買うやついるんだという顔をしていた。一時間半かけて、きらきらぼしと大きな栗の木のしたでを弾けるようになった。一曲何かを演奏しきるという体験は小学生の時にリコーダーを吹かされて以来で、とても大きな達成感があった。自分の感性の小学生の部分が十数年ぶりに起動した。それが嬉しかった。

転職活動がうまくいかなくても、いまの仕事は辞めると思う。そういえば自分ってこんな感じだったな、という感覚を日々すこしずつ思い返している。